人物紹介

長谷川泰子(俳優:山田キヌヲ)

(はせがわやすこ、1904-1993)広島出身。19才で家出して、バイオリンを弾きながら全国を布教して歩いていた大空詩人・永井叔とともに東京へ。関東大震災の後、京都に移り、劇団・表現座に所属。その稽古場に来ていた中原中也と知り合い、1924年4月より日活大将軍撮影所に近い椿寺の中原の下宿に同棲。泰子20才、中也17才。ここには女優・葉山三千子も住んでおり、岡田時彦などの俳優が時折訪れたという。泰子自身もマキノ・プロの大部屋女優。中也の親友・冨永太郎の住まいに近い今出川中筋通(河原町と寺町の間)下ル南西角に転居。1925年3月、中也とともに上京。冨永の紹介で小林秀雄を知り、 11月から小林と同棲。1928年5月、泰子の潔癖症に苦しめられていた小林は奈良へ出奔。松竹蒲田撮影所に所属して陸礼子(くがれいこ)の名で清水宏監督作品『山彦』(1928)に出演。1930年、同志社出身の築地小劇場付演出家・山川幸世との間に茂樹誕生、結婚する気はなく、中也が名付け親となる。 1931年、「グレタ・ガルボに似た女性」コンテストで優勝。中也の友人・青山二郎の口利きで銀座のバー・エスパニョールに勤めていた時、石炭問屋社長・中垣竹之助と知り合い、36年結婚。田園調布に暮らし、戦中は千葉のゴルフコースまでタクシーで通っていた。37年、中也死去。39年、中垣の基金により中原中也賞創設(第一回受賞は立原道造、授賞式の前に死去)。45年、世界救世教に入信。岩佐寿弥監督・佐々木幹郎脚本の映画『眠れ蜜』(1976)に出演、フランス語でシャンソンを口ずさみ、フラメンコを踊って見せる。1993年、湯河原の老人ホームで死去、88才。著書に『中原中也との愛―ゆきてかえらぬ』(長谷川泰子述、村上護編、初版・講談社、1974、再版・角川文庫、平成18年)。
同志社大学言語文化教育研究センター版WIKIPEDIAより